医師のキャリアをとりまく環境・未来
真野 俊樹
1987年名古屋大学医学部卒業。医師、医学博士、経済学博士、日本内科学会専門医、MBA。臨床医を経て、95年9月コーネル大学医学部研究員。外資系製薬企業、国内製薬企業のマネジメントに携わる。その後、昭和大学医学部(病院管理学担当)専任講師を経て、現在、多摩大学医療リスクマネジメントセンター教授。
医師と医療経済 第2回
米国医師の苦悩
前回、マネジドケアという医療への介入が、1990年代の米国で本格化したという話をしてきました。そして、米国の医師の苦悩が始まったと記載しました。この苦悩には、二種類あったのです。1つは、医師として思ったことができないことです。これは、金銭的な制約により患者さんへ、思ったような治療ができないわけですから、かなりの苦悩であったと思います。もうひとつは、実務面の負荷が増加したことです。単純に言えば書類などの事務手続きが増えたことです。
前者の苦悩はかなりのものであったと思います。たとえば、実際にあった話ですが、ある比較的新しいタイプの抗うつ剤が、値段の交渉の結果あるマネジドケア保険で使用不可になりました。その結果、医師は少なくとも保険診療ではその薬剤を使えなくなってしまったのです。
それと同様に、事務負荷もかなりのものであったと想像されます。米国では民間の保険、すなわちそのおおくがマネジドケアになったのですが、が中心です。マネジドケアの会社ごとによって、書類や使うことが出来る薬剤が異なったりしたわけですから、現場の混乱は相当なものであったと思われます。
マネジドケアを強く批判されてみえる先生のお一人に、李啓充先生がお見えですが、その先生がご講演の中で、「マサチューセッツ総合病院(MGH)、私が勤める病院で診療報酬の請求事務をするために数百人の事務員を雇っているが、カナダではシングルペイヤー方式で、全国共通になっていますから、診療報酬請求事務というのは、病院1軒に数人いれば足りています。カナダで請求事務を司っている人たちが一番忙殺される仕事というのが、たまたまアメリカ人がカナダで病気になって、アメリカの医療保険のややこしい診療報酬を請求する仕事であると。その事務員たちは、数少ないアメリカ人の患者のために、アメリカの保険会社に診療報酬を請求するために、多くの時間を費やしていると、そういう話を聞かされました」と述べてみえるのがその象徴である。
1997年に米国にいた、わたしはまさにその事務仕事(いくつかは医師に回ってくる)のすざまじさを見たのである。
患者の怒り
ところが、マネジドケアはその後少しずつ衰退していく。90年代の始めにマネジドケアが大々的に普及した頃は、マネジドケアは横暴を繰り返す医師や病院から消費者を救う白馬の騎士、ということで、消費者からは歓呼をもって迎えられたのですが、何年かすると、逆に、マネジドケアは批判の対象になってしまいました。
余談ですが、米国では日本に比して、保険会社の地位が低いようです。これは、わたしが保険会社が嫌いで言っているわけではありません。実際の米国の方から何人もお聞きした話です。マネジドケアを行っているので保険会社が嫌われたのか、もともと嫌われていたのかは定かではありませんが。。。
さて、このマネジドケアですが、消費者に代わって医療サービスの内容をチェックし、適切な医療サービスを提供するというのひとつの目標でもありました。しかしながら、この適切は、いままで述べてきましたように、必ずしも患者にとって適切なという意味ではありません。私が米国を去ってから、1990年代末にマネジドケアに対する米国民の反感が高まりますが、それもこれも、コストを抑制するために、患者にとってではなく保険会社にとって適切な医療を展開したということが国民の怒りを買ったからであるといわれています。もちろん、医師も怒っていました。わたしが、現在のような医療経済や医療経営を専門に学ぶようになったのも、このときに米国の医師たちに、半ば冗談で、「日本もいまに、同じようになる。笑っていられるのもいまのうちだよ」といわれたことがひとつのきっかけになってはいるのです。
ただ、面白いのは、日本においては米国での批判が起きてから、マネジドケアというすばらしい手法がある、と紹介されたことです。これは、このインターネット時代にすこしずれていたのではないかなあ、と思いますね。
医療経済を志す
さて、こんな中で、わたしは米国において、医療経済・医療経営を志すことになったのです。おいおい話していきますが、マネジドケアのような米国のような医療に対する行き過ぎた経済支配は日本では起きないでしょう。しかし、そうは言っても、さまざまな環境変化から、お金の問題を抜きに医療を語れなくなっていることも叉事実です。
ただ、ここでは、もう少し、私自身の話をしましょう。米国で、なぜ方向転換をしたか、そしてそれに対して、バッシングはなかったのでしょうか?
もちろん、ありました。まだ、1990年代ですから、医局も全盛期の頃の出来事ですから。その点については次回に述べたいと思います。

