医師のキャリアをとりまく環境・未来
真野 俊樹
1987年名古屋大学医学部卒業。医師、医学博士、経済学博士、日本内科学会専門医、MBA。臨床医を経て、95年9月コーネル大学医学部研究員。外資系製薬企業、国内製薬企業のマネジメントに携わる。その後、昭和大学医学部(病院管理学担当)専任講師を経て、現在、多摩大学医療リスクマネジメントセンター教授。
医師と医療経済 第6回
製薬会社の悩み
さて、面談を経て無事外資系の製薬会社に勤務することになったのですが、みなさま、製薬会社の一番大きな悩みが何かご存知ですか?
それは、新薬をいかに開発するか、ということです。図に示しましたように、新しい薬剤の開発はかなり難しく、会社によっては何年も新薬が出ていないという製薬会社もあるのです。
最近では、ジェネリック医薬品と言われる後発品も普及が始まっており、かなり新薬メーカーもつらい立場になってきているのです。
こんななかで、企業内医師に何が求められたか、といいますと、やはりハードな仕事です。少しでも早く新薬を上梓することが製薬会社から見れば正しい選択で、そのためには治験を担当する臨床開発部には1日でも早く新薬の治験を終わらせ、上梓することが求められます。今では多少緩和されたかもしれませんが、帰宅が深夜に及ぶこと、海外とのテレビ会議で早朝や深夜になることもありました。
ですから、昔は知りませんが、その当時では製薬会社に勤務されている先生方は、かなりハードな仕事をしていたと思います。海外出張も、ビジネスクラスでしたが結構ありました。逆に言えば、楽をしたいという方には難しい仕事とも言えます。
もちろん、給与もそうですが、仕事の内容としては報われることも多く、やりがいのある仕事といえましょう。
私も、その後国内製薬会社に変わりましたが、トータルで3年弱製薬会社に籍を置いていました。
製薬会社を辞めたわけ
さて、私がなぜ製薬会社を辞めたのかについても少しだけ触れておきましょう。若気のいたりであった面も否めませんが、根本的には医療経営や医療経済の学問を究めるという道にはだんだん距離があるということがわかってきたという面が本質的な面です。
実は、製薬会社に勤務している間に、主に通信教育でしたがMBAも取得していますし、今はなき国立医療病院管理研究所(国立保健医療科学院として統合)の協力研究員を兼務したりして、それなりによくしてもらったとは思っていますが、やはり会社員である以上、発言や講演、学会発表などにも気をつけなければならない面は多々あるものですから。そして、研究活動は長期的なもので、すぐに会社の利益になるものではないという面もありました。
製薬企業に勤められても短期間でやめられる方も多いと聞きます。しかし、私が製薬企業に勤務していたときに他の製薬会社におみえであった先生方は、本部長とか部長になられて、収入も多いのではないかと想像します。
ですから、製薬会社という選択をされたら不退転で望む覚悟もあったほうがいいかもしれません。
シンクタンク
そのあとで、私は医学部の公衆衛生学の講師になりましたが、この仕事は皆様も想像がつくでしょうから割愛します。むしろその後に5年間在籍したシンクタンクのほうがご関心あられると思いますので、少し触れておきます。
シンクタンクは、定義では、「種々の分野の専門家を集め、国の政策決定や企業戦略の基礎研究、コンサルティングサービス、システム開発などを行う組織。頭脳集団」などと格好いいことが書いてあります。しかし、残念ながらここまでのものでは、少なくとも日本ではないようです。
理由は、またしてもと思われる方も多いかもしれませんが、お金です。日本のシンクタンクのほとんどは民間なのでお金を稼がないと、シンクタンク自体がつぶれてしまう、あるいは親会社から文句を言われるという構造があるのです。言い換えれば政策系のシンクタンクが少なく、経済系のシンクタンクが多いともいえます。ですから、大学のように自由に研究ができる、という状況にないところが多いようです。
さらに、医療や介護分野は規制が多く、将来性があるのかないのかわからない分野という認識がありますので、この分野を研究しているひとも少ないのが残念なところです。また、アンケートなどの調査を自主研究といいますが、自らのお金で行うことは少なく、企業や国の補助金、研究費がつかないとそういった研究ができないという実態もあります(もちろんこれは大学でも同じですが)。
私のシンクタンク時代の後半も、むしろビジネスよりの仕事で、その当時、多くのバイオ関連企業が株式上場したのでブームになっていたのを思い起こされる方も多いかもしれませんが、バイオやヘルスケア関連の企業の調査・研究といった内容になり、アナリスト的な仕事になったのです。
日本の新医薬品の開発成功率

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