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産科・産婦人科の医師転職お役立ちコラム
産科・産婦人科の「訴訟事例」

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訴訟事例-産科・産婦人科

1数字で見る訴訟の現状

〈医事関係訴訟委員会のデータによる、近年の訴訟件数やその推移〉
まずは客観的な数値として、最高裁判所の中に設置された「医事関係訴訟委員会」で出されている医事関係訴訟に関する統計データを見ていきましょう。医事関係訴訟事件(地裁)の、「診療科目別既済件数」です。産婦人科関連はここ3年間で次のように推移しています。
平成24年 59件
平成25年 56件
平成26年 60件
注1)この数値は、各診療科における医療事故の起こりやすさを表すものではありません。
注2)複数の診療科目に該当する場合は、そのうちの主要な一科目に計上されています。
注3)平成26年の数値は速報値です。

2産婦人科に関連する訴訟事例

〈実際の訴訟事例〉
次に産婦人科に関連する訴訟事例をいくつか見ていきましょう。
【事例1】
患者(女性)は総合病院(産婦人科)で医師Aより診察を受け、右卵巣のう腫が存在すると診断され同年11月10日及び3年後の2月23日にもちがう医師B(産婦人科)により卵巣のう腫と診断されていた。
患者は同年5月25日被告病院を受診し、医師Bにより妊娠5週4日であり右卵巣にのう腫が2個存在していると診断された。6月1日、医師Bは、超音波検査で胎児の成長具合を確認するとともに、卵巣のう腫の明らかな縮小と変形を認めた。その後、患者は被告病院を受診しいずれの診察においても超音波検査を受けていた。次の年の1月、患者は児頭骨盤不均衡と診断され、同月22日、執刀医である医師Bと助手である院長C(外科)により、帝王切開手術を受けた。
患者は、1月27日早朝、創部痛ではない腹痛を訴え、坐薬等の処置で排便、排ガスがあったときは、少し楽になるものの、しばらくするとまた腹痛や腹部膨満感を訴えることを繰り返したため、医師Bはイレウスを疑い、腹部単純レントゲン写真を撮影したところ、ニボー像は確認できなかった。
患者は、同日以降も程度の差はあるものの、腹痛や腹部膨満感を繰り返し訴えた。同月28日、血液検査で血色素量の低下が認められ、同月30日の血液検査では、白血球数の上昇が認められたため、医師Bは感染を疑い、抗生剤を投与した。同年2月1日、医師Bは、原告の腹痛が増強し、腹部が膨満しているという所見を認め、同日の血液検査では、血色素量低下、白血球数上昇、CRP値上昇が見られたため、翌2日医師Bは、抗生剤を変更・増量して投与した。
同月3日の血液検査でも貧血が認められたため、医師Bは血腫を疑い、再開腹手術の必要性を検討したが、経過観察を続けた。
同月7日、臍部を中心に腫瘤様のものを触知したため、超音波検査及びCT検査を行ったところ、血腫の存在が確認されたため、再手術が決定された。同月8日、医師BとC院長により、患者に対し、再開腹手術が実施され、患者の右卵巣は血腫化し成人頭大に腫大し、2.5回転の茎捻転を生じた上、腫瘤の左上部が小腸及び大綱に癒着していた。医師Bらは、切開創を臍部左方から上方へあげて広げ、癒着部分を剥離した上、右卵巣を切除した。右卵巣血腫について病理組織検査を行った病理学センターは、ムチン性のう胞脱腫及び出血性壊死と診断した。患者は、院を開設する法人に対し損害賠償請求訴訟を提起した。

【事例2】
A子はA男と昭和27年に婚姻し、妊娠したので、昭和28年3月、社会福祉法人であるYが開設する病院(以下、Y産院という)を訪れ、分娩出産のために入院した。遅くともこのころまでに、A夫婦とYとの間で、Yにおいて、A子が新生児を安全に分娩することを助け、生まれた新生児を看護することを内容とする分娩助産契約が締結された。
昭和28年3月30日午後7時17分、A子はY産院の分娩室において、新生児を分娩し、その直後に分娩した新生児を示されて、男児であることを確認した。
Y産院では、分娩された新生児は、分娩後直ちに、沐浴担当助産師が新生児を運んで沐浴させ、その後、異なる担当者が、身体測定後に足の裏に硝酸銀で母親の名前をひらがなで記入し名前が書かれたネームバンドを手首又は足首に取り付ける運用がなされていたところ、A子が分娩した新生児も、分娩後直ちに、沐浴担当助産師により運ばれ、沐浴を受けた。沐浴担当者に引き渡され沐浴を受けた。
A子が分娩した13分後の同日午後7時30分、同じくY産院に入院していたB子は、Y産院の分娩室において、新生児を分娩し、その直後、分娩した新生児を示されて男児であることを確認した。B子が分娩した新生児も、A子が分娩した新生児と同じく、分娩直後に沐浴担当助産師により運ばれ、沐浴を受けた。
分娩後、A子の下に、硝酸銀でA子の名前の書かれた新生児が返された。このとき、新生児はA子が用意した産着とは異なる産着を身につけていた。他方、B子の下にも、沐浴および身体測定を終え、硝酸銀でB子の名前が書かれた新生児が返された。
当時のY産院において、沐浴担当者と名前を書く担当者は別れており、分娩後、沐浴して、名前を記入するまでに要する時間は10分程度であった。
母親の下に返された2人の新生児の足の裏には、硝酸銀で母親の名前が書かれており、名前は退院まで消えることはなかったため、母親の下に新生児が返されてからは、仮に新生児同士が取り違えられても、これに気付かずに取り違えられたままになるという可能性はなかった。また、分娩後は母親が用を足すときと退院指導のときを除いては、母子が離れることはなかった。
A夫妻はY産院から連れ帰った新生児をN男と名付け、両者間の長男として養育し、B夫妻はY産院から連れ帰った新生児をX1と名付け、両者間の四男として養育した。
A夫妻には他に実子3名(X2ないしX4)がおり、B夫妻の実子としては、他に2名がいる。
A夫妻およびB夫妻は平成19年10月7日までにいずれも死亡した。
A子は生前、出産の際、長男のために用意した産着と新生児が来ていた産着が異なることに違和感を持っており、このことをX2らに伝えたことがあった。また、A子は、親戚や知人からN男の容姿や性格が他の兄弟と似ていないと幾度か言われたことがあり、その度に不快な思いをしていた。
X2ら3名は、上記のような経緯および認知症となったA男の介護にN男のみが消極的であったこと等の事情から、両親の死後、X2らは、N男と両親との間に血縁関係があるのか疑うようになった。
そこで、平成20年、X2ら兄弟3名は、N男を被告として、N男とA夫婦両名との親子関係不存在確認を求める別件訴訟1を提訴した。この訴訟の中で、東京家庭裁判所の嘱託により、S株式会社によって、DNA鑑定が行われた。その結果、N男とX2ら3名との間に父又は母を共通とする生物学的な兄弟関係が存在しないことが明らかにされた。上記鑑定結果は、平成21年1月15日付鑑定書により、この頃、X2ら3名に知らされた。
鑑定結果を知らされたX4は、真実の兄を探すべく、Y産院に対して、N男が生まれた昭和28年当時の分娩台帳等の閲覧を請求したり、弁護士法上の照会請求をしたものの、これらを拒否されたので、X4は平成23年8月11日、東京地方裁判所にY医院が保有する分娩台帳の保全のため証拠保全の申立てを経て、分娩台帳に基づき、X1を探し出した。
X1の協力を経て、X2ら3名とX1との間に全同胞関係の有無に関するDNA鑑定を行ったところ、平成24年1月6日、「X2ら3名とX1との間に血縁関係および父系遺伝関係は存在しない」とするより「X2ら3名とX1との間に全同胞関係および父系遺伝関係が存在する」としたときの総合肯定確率は99.99999999999996%との結果が示され、X2ら3名とX1との間に生物学的な全同胞関係が存在すると極めて強く推定できることが判断された。
X1は、上記鑑定結果を受けて、平成24年3月21日、X1とA夫婦両名との間の親子関係の存在確認およびX1とB夫妻との間の親子関係不存在確認を求める別件訴訟2を提起し、平成25年1月28日、上記各請求につき認容判決を受け、確定した。
X1はB夫妻の四男として育てられたが、X1が2歳のときにB男が亡くなり、その後はB子が生活保護を受けながら女手一つでX1ら3人の子(三男は早逝)を育てた。その生活は楽なものではなく、家族4人が6畳のアパートで生活し、当時同級生の家庭に普及しつつあった家電製品が何一つないという状況であった。兄2人は、中学卒業後、すぐに働き始め、X1も、家計を助けるため、中学卒業とともに町工場に就職した。その後は、X1は、自分で学費を捻出し、働きながら定時制の工業高校に進学し、卒業したものの、大学進学は望むべくもなかった。町工場を退職後は、配送トラックの運転手として働くようになり、勤務先を変えつつ、現在もトラックの運転手として働いていた。
他方、A夫婦は教育熱心な上、経済的なゆとりもあり、A夫婦の下で養育されたN男およびX2ら3名はいずれも私立高校を経て、大学または大学院に進学し、X2ら3名は一部上場企業に進学した。
そこで、X1~X4は、X1がY産院で取り違えられ、真実の両親と異なる夫婦に引き取られ養育されたのは、Yの分娩助産契約上の債務の不履行によるものであるとして、損害賠償請求訴訟を提起した。
東京地方裁判所 平成25年11月26日判決
結論: Xの請求を上記裁判所認定額の限度において認容。
引用元: No.277「産院で新生児が取り違えられ、約57年経過後にDNA鑑定により取り違えが判明。消滅時効はDNA鑑定の結果が示されたときが起算点になるとして、病院側の分娩助産契約の不履行による損害賠償責任が認められた地裁判決」(Medsafe.Net 医療安全推進者ネットワーク)
http://www.medsafe.net/precedent/hanketsu_0_277.html

33.産婦人科関係の訴訟の現状

〈訴訟リスクは産婦人科医不足の大きな要因に〉
平成18年に厚生労働省から出されているデータによると、医師1,000人あたりの訴訟の既済件数で、産婦人科は16.8件と全体で一番多い割合を示し、しかも二番目以下を大きく引き離していました。こうした数値に裏付けをされるまでもなく産婦人科医の訴訟リスクは多く語られ、社会的にネガティブなムードの蔓延が産婦人科医不足の大きな要因という声も多く見られます。

44.産婦人科医たちの声

〈産婦人科医の困難を象徴する事件〉
ここでは、医師の声の代わりに、産婦人科医の困難を象徴する事件を紹介します。
「福島県立大野病院事件」といもので、内容については下記の報告書に詳細に記されています。
福島県立大野病院事件検討報告書(医療問題弁護団)
http://www.iryo-bengo.com/general/press/pdf/32/press_032_all.pdf
この事件については日本産婦人科医会だけでなく、多くの医師組織が「通常の行為で医師に非はない」と抗議の声をあげ、医療崩壊を象徴する事件とも言われています。

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